ズバットREDしおみです。
2014年になって、なかなかブログが更新できていないREDであるが…。
先日、Facebookの某氏のリンクをたどると、アゴラのサイトに行きました。タイトルは「人間関係は「誰と付き合うか」ではなく「誰と付き合わないか」 — 内藤 忍というもの。
http://agora-web.jp/archives/1572880.html
「誰と付き合うか」ではなく「誰と付き合わないか」 の意見の中身は。。。。。
この内藤さんのご意見の内容を無理やり要約すると、解り合えない人は誰にでもいる、人生短い、だから、解り合えない人にあわしておく時間は勿体ないのである…。なるほど。その通りである。しかし、現実問題は、もっと複雑なのではないか?と思うので、ちょっと書かしてもらいます。
人間関係って、そんなに単純はものか?と僕は考えちゃうけどね。
いや「解り合えない人にあわしておく時間は勿体ない」確かにそうです。しかし、そう簡単にいかないのが、今の世の中なんじゃないっすかー?(昔から、そうだったかも知れませんが…)。職場にいけば、あわない人の一人や二人はいるものです。その時、そのあわない人が上司だったりするので困っちゃうんですよ。猫の手も借りたい時に、仕事ができないバイト君が来たりするので怒ったりするんじゃないですか。あわなくても良い人とはあわないというのは、単純で良いけど、それだけ考えるのであれば、山の中にこもって、ネットで会いそうな人をピンポイントで探していくしかないんじゃないのですかね。
あわないの人の研究が面白いんじゃないのか?
自分と性格が会わない人を避けるというよりも、会わない人がいる事が解った上で、そう人とどう付き合うのか?そう考えた方が人生を生きていく上では建設的じゃないかと思ったりします。例えば、最近…。僕の考え方は、こうなっていますね。性格があわない人に会わないじゃなく、研究対象ということになっていたりしますw。
だって、いくら考えても、その思考回路になる人は珍しいです。
例えば、6人で50,000円かかった飲食店の飲み代を3,000円しか持っていないと言って逃げ切ろうとする人とか、定年退職したら行くところがないと言ってある家に毎日来ると言っている、酒好きのオジサンとか…。
もう、常識では考えられないレベルの「ヘンな人」が世の中には存在するのです。もう、会わない人と付き合うのは止めようなんて呼びかけても、避けられないんだから仕方がないんです。であるならば、そんな人の存在も受け入れて「研究対象」として楽しんじゃう方が、はるかに楽しい人生を送れると思うんですけど、ね。。。
皆さんは、どう思いますか?
いや〜、「誰と付き合わないか」なんて、考え方は絶対にうまくいかないと思ったので、ちょっと書いてみました、とさ。